信州名水探訪

信州のかけがえのない美しい自然。そして、その恵みの、清らかな水のながれ。
水、それは、春を待ちこがれていたものに命を吹き込み、夏には、その力を育み、枯れ行く秋には、やすらぎをあたえ、そして、冬には、新しい命を約束してくれます。

風かをるしなののくにの水のよろしさ   山頭火

穂高の湧水 穂高町

北アルプスの雪解け水が、ワサビ田に春を運んできます。「安曇野わさび田湧水群」は、環境庁による日本「名水百選」に選ばれた水辺です。

早春、三月。北アルプスから流れ出た清らかで豊富な雪解け水は、伏流水となって、緑いちめんのわさび田に、峰の残雪のような真っ白な花を咲かせます。

水温が年間を通じてほぼ13度前後と安定しているため、明治の初めからワサビ栽培に利用されてきました。安曇野のワサビの栽培面積は72ha。いまでは日本でいちばんの規模を誇り、良質なワサビを生産しています。

水の恵みをたっぷり含んだワサビの花ツミ作業は四月いっぱい行われます。自然がはぐくむ生命力に満ちている風景です。

姫川源流湧水 白馬村

大河・姫川の一滴はここにはじまり、果てしない大海へそそいでいます。環境庁の名水百選に選定されています。

新しい水が、大地に音もなく生まれ、純粋に無垢に生きようとしています。それは、まるで、大地から私たちへの贈り物のようです。そして、しばしの間もなく、生まれた場所に別れを告げます。生まれたばかりの水はたがいにキラキラと輝きあい、光の帯をのこして、長い旅路へと旅立ってゆきます。

戸隠自然植物園 戸隠村

やわらかな日の光がが清らかな水に遊ぶころ、戸隠森林植物園は白い清楚な花をつけた水芭蕉で埋めつくされます。新しい生命が育まれる美しい季節です。

春にとけた雪が、真っ白な花に姿をかえて、清冽な水とともに大地からふたたびよみがえったかのようです。

その姿は大きく手を広げて、まるで大自然の大気を体いっぱいに吸い込もうとしているようにも見え、清らかな水に浮かぶ船の白い帆のようでもあります。水に育まれるものは限りありません。

瓜破清水 長野市西長野

長野市の西、郷路山のふもとで、戸隠や鬼無里に通じる道に、瓜割清水があります。昔から、善光寺七清水の一つとして数えられた名水です。この清水に瓜をつけておくと割れるくらい冷たいということからこの名前があるそうです。

善光寺町につながる道沿いで、行商の人たちや善光寺参りの善男善女の疲れをを癒す、憩いの水場でした。

田子の清水 長野市田子

長野から牟礼に通じる北国街道の道沿いにある田子神社。この神社の裏からきれいな水がコンコンと湧きだしています。
北国街道を通り北陸へ向かう明治天皇がこの集落で休憩したときにも、この水が献上されました。昭和12年には天然記念物に指定され、村人が誇りにしている名水です。

延命水 堀金村烏川林道

北アルプスの常念岳の登山口。その傍らにある大きな岩肌からしたたり落ちる水は延命水と呼ばれています。真夏でも手の切れるような冷たい水です。

この水を前にして、登山者の渇いた心は喜びにわき、命がつながるような思いを抱くことでしょう。人々は母なる大地からの贈り物に喉をうるおし、励まされるようにして遥か高みをめざします。

桜清水 更埴市姨捨

田ごとの月で有名な棚田が広がる姨捨山。一本の桜の古木の根元から静かにあふれでる水は桜清水と呼ばれています。旧善光寺街道の道筋にも近く、往来の旅人は、この水面に、安堵の笑みをうかべたことでしょう。

名月にあこがれた人々の心をつかんで止まなかった姨捨の十五夜が、この水の表にもきっと映っていたに違いありません。

須原宿の水舟 大桑村須原

江戸時代、木曾十一宿のひとつとして栄えた須原宿は水が豊かな宿場町でした。往時のおもかげを色濃く残す街並みに水をたくわえた水舟がいくつか残されています。

水舟は宿場の共同の井戸として利用され、人々はこの井戸で朝夕の支度を整え、旅人は宿に着いた安堵とともに渇いた喉を潤し、力づけられるようにして、また、旅の先をいそぎました。

弁天の泉 小諸市諸

小諸市の北西部にある弁天の泉は古代東山道の道筋にあり、古くから、歴史の舞台に登場する伝統ある名水です。かつて、いくたの旅人がさまざまな思いを抱いて、この水辺に安らぎを求めました。
その源は深く、湧き出る水量は豊富で、どんな干ばつでも涸れることはありません。弁天の泉は今も人々の心に豊かな彩りを与えています。

源智の井戸 松本市中央三丁目

城下町、松本。その町の真ん中に「源智の井戸」があります。その良質の水は、江戸時代にはすでに、信州一の名水として書物に紹介されています。「源智」の名は、かつてここに住んでいた小笠原氏の家臣の名によると伝えられ、代々の藩主から手厚く保護されてきました。

水温は通年13度前後、汲みおいても腐らないということで、水を汲みに町内はもとより遠方からも多くの人が訪れます。源智の井戸は、今でも松本の人々が心を通わす水場なのです。

槻井泉の井戸 松本市清水一丁目

槻井泉神社のおおきなケヤキの古木のもとから湧く泉は、水量も豊富で、一瞬もとどまることなくあふれ出ています。古くから人々の日常生活を支え、産業を生み出してきた水です。

龍興寺清水 木島平村内山

水は私たちに、生命をつなぐ糧を生みだす智恵を運んできます。
内山紙のふるさとのこの地域の人々は、昔、この水場に集い、互いに学びあって、手すき和紙の仕事を編み出しました。

かつてのお寺の境内から湧きだす水は、和紙の材料をほどよく溶け合わせ、人々のひたむきな情熱をささえて、雪国のきびしい生活をうるおしてきました。時代が移り、人は去れど、手すき和紙の技術はいまも生き、雪国に生きる人々の、明日への希望をつなぎ続けてきた水も変わりがありません。

御作田の清水 下諏訪町

下諏訪町にある諏訪大社の末社、御作田社。その境内にも清水が湧いています。

地域の人々の毎日の生活に、今もかかすことができない水です。神社を囲む十軒の家が水神講という講をつくり、大切に守っています。

旧稗之底村址湧水 富士見町立沢

八ケ岳の裾野。野をゆく水からは、まるでぬくもりがあるかのように湯気が立ちのぼっています。

この場所には、かつて、村があり人々の営みがありました。稗ノ底村というその村は、冷害などによって廃村に追い込まれてしまいました。
村人の命をつないだ水は、村を無くした人々の嗚咽に共鳴するかのように、そのきびしい生活をしのぶかのように、いまも絶え間なく湧き続けています。自然の恵みの永遠を示して・・・。

女ノ神氷水 茅野市ビーナスライン

「諏訪富士」とよばれる蓼科山の山腹にある清水です。

その昔、古代の人々は蓼科山を命をつなぐ水の源として感謝し、神として崇拝しました。この山こそがふもとの人々の生活を支える水がめであり、湧き出る水は里の田畑を耕し、豊かな実りを支えて、人々の生活に潤いと喜びを運んできました。山麓の涼風ととも体に染みいる水は氷のように清冽です。

奈良井宿の水場 楢川村奈良井

木曾十一宿の一つ、奈良井宿。昔の面影がいまも色濃く残されている宿場町の通りに沿って、絶え間なく水が流れ出ている水場があります。

木曾のけわしい道をたどって、宿場に着いた旅人の疲れを癒したものは宿の人のねぎらいの言葉であり、差し出された一椀の水のもてなしであったことでしょう。
奈良井の人々は、水場をかけがえのない財産として敬い、誇りをこめて大切に守り続けています。

猿庫の泉 飯田市羽場

飯田の人々の、心の山、風越山。そのふもとに、環境庁の全国名水百選にも選ばれた「猿庫の泉」があります。

茶の湯の道を極め、名水を求めて全国を旅していた一人の茶人がこの泉に出会ったのは江戸時代の後期。それ以来、茶の湯を愛する人たちに天下の名水と誉れ高いわき水です。

猿庫の泉は、茶の本来の味やかおりを邪魔することなく、にごることなく、茶の湯のこころを助ける水といわれてきました。あふれる水の恵に感謝するとき、一期一会のおもいにこころが満たされます。

おみかの滝 南相木村

たえまなく流れ行く水は、時には、滝をつくり、流れ落ちる水音が、私たちに昔話を語り始めます。「おみかの滝」が悲しい昔話をささやきはじめます。

耳をすませば・・・、「むかしむかし、この村におみかという美しいお嫁さんがやってきました」

耳をすませば・・・、「おみかのきれいな着物を欲しがった姑は、おみかをこの滝つぼにつき落としてしまいました」

耳をすませば・・・、「滝つぼ深く沈んだおみかは、ドジョウに身をかえて現れました」「それを見た姑は、自らの行いを悔い、おみかの霊をこの滝に慰めました」

耳をすますと・・・、聞こえてきます。

お仙が峡 武石村

美ケ原の山並みから流れる武石川がつくる、巣栗渓谷の美しい水の流れです。

その昔、この谷川に、恋に疲れた一人の娘が、身を投げたという悲しい物語が守り伝えられています。娘がいだいた恋のように、いまも谷の水はきよらかで、娘が追い求めた恋のように、いまも谷の水は透き通っています。

想いの糸をたどるように、川は流れ、古の物語はいまもこの谷に生きています。

殿様水 茅野市米沢

いまからおよそ百八十年前のある日、領地の視察に出かけた諏訪の殿様が、この清水で喉の渇きを癒したそうです。

殿様はこの水の美味さに感激し、この水こそは天下の名水と喜ばれました。以来、この清水は誰言うともなく「殿様水」と呼ばれてきました。

樋知大神社お種の池 大岡村

大岡村の樋知大神社は農業開拓の守り神として地元の人々の篤い信仰を集めています。その社殿の裏にある小さな池はお種池とよばれています。

昔、近在の村が干ばつにみまわれた時は村人が山奥のこの池に集まり、池の中心にある祠の廻りを手を合わせ素足で歩きまわり、恵の雨を乞い、一心に祈ったといわれています。そして、そのたびごとに願いはかない、村人は穀物の豊饒にあずかったことでしょう。

腹薬清水 飯山市外様

大地から湧き出でる水は、水田をうるおし、苗を育て、稲の豊かな実りを支え、人々に豊作の喜びをもたらします。

千曲川沿いに広がる森林に蓄えられた雨水が地下水となり、長い年月を経て浄化され、「腹薬の清水」が湧きだしています。病気を治す力をもっていると信じられ、病にふせった村人はこの水を飲み、回復を待ったそうです。

色白水 辰野町小野

旧中山道の近道として利用された小野街道の道沿いに「色白水」があります。

昔から、この水で顔を洗うと、色が白くなり、美人になると言い伝えられてきました。人知れず、この水に願いをかけ期待に胸をふくらませた乙女もいたことでしょう。そして、特別な恵を授かった乙女もいたことでしょう。

美顔水 大桑村野尻

木曾の谷に、美しい顔の水と書くきよらかな水が湧き出ています。

そのむかし、木曾の山林を管理するためにやってきた尾張の国の役人たちの奥方が、朝に夕に、この水で顔をあらったところ、みちがえるほど美しく色白になったという話がつたわっています。以来、女たちはこぞって、美の福音をこの水に求めました。

湧き出る水は山仕事で汗を流す男たちには命をつなぐ癒しを与え、山深くひっそりと暮らす女たちには、里では得難い夢を与え続けてきたのかもしれません。

乙女の滝 佐久町

緑深い渓谷に、乙女の滝は、きよく、うるわしくあります。大きな岩を間において、大きさのちがう二つの流れが落ちています。

村の娘と青年との恋がここでうまれ、結ばれたという伝説が語られています。胸のときめきを隠すように二つの流れはお互いには見えず、心のたかなりに似た水音だけが相手を確めあっているようです。
相手の姿を見ることなく、こだまする音だけで語りあっている二つの流れは、よりそい、語らうようにひとつになって流れてゆきます。とこしえの恋人のように・・・

井戸尻遺跡湧水 富士見町

山梨県との県境。八ケ岳の裾野に井戸尻遺跡があります。

遺跡に静かにあふれ出る水は、縄文時代の力強い文化を生んだ井戸尻の人々の命を支えた水です。寒冷地であるにもかかわらず、水温は、冬でも10度をくだることはなく、冬はあたたかく夏につめたい水は井戸尻の繁栄を育む重要な要素でした。

縄文土器は世界でもっとも豪華な土器といわれています。湧き出る水は、水中にその文様を描いているようです。

黒耀の水 和田村男女倉

良質な黒曜石の産地として有名な和田峠に絶え間なくきよらかな水が湧き出ています。黒曜の水とよばれています。水はまるで意志を持っているかのように弾け、地底に広がる黒曜石を彷彿とさせる透明な輝きを放っています。

石器時代、黒曜石は石器の材料として使われ、人々に知恵と力を授け、日々の暮らしに豊かさをもたらしました。大地から湧き出る大いなる水が、その面につくる模様は、太古の営みを語り、記憶の糸を紡ぎ続けようとしている符号なのかもしれません。

阿寺渓谷 大桑村

岐阜県との県境から流れ出る阿寺川は木曾の険しい山あいを縫うようにして流れ、深い淵をつくり、滝となって流れています。ここを訪れる人々は、四季折々の美しい風景に心を洗われるような感動をおぼえるでしょう。

木曾の美林が生い茂る山にたくわえられていた水は木曽谷を吹き渡る風のようにさわやかに、谷に広がる空のようにすみわたっています。

不動滝 高森町

空にひろがる大きな岩の壁。不動滝は雄々しく、美しい滝です。大きな壁をひといきにかけおりる水の帯。その帯からはじけた水の粒は、乾いた空気を一瞬のうちに冷気にかえ、谷の緑をきわだたせます。高さはおよそ五十メートル。伊那谷でいちばんのスケールです。

滝つぼから獅子があらわれたという伝説があり、信仰の対象にもなっています。神秘の力を蓄えた不動滝の水は、伊那谷の肥沃な土地と人々のこころを耕しています。

あの水この水の天竜となる水音   山頭火

白糸の滝 軽井沢町

浅間山麓にたくわえられた水が、まるで糸のように、いくつもの白い筋をつくって流れ落ちているのが白糸の滝です。軽井沢の静かな森にふさわしい美しい姿です。

高さは3mほどですが、幅はおよそ70m、流れ落ちる水はさわやかな風をおこし、あたりいちめんにひんやりとした清涼な空気が流れています。水温は年間を通じて11度前後。

春の芽吹き、夏の緑、秋の紅葉と、四季さまざまに周辺の風景を演出して、白糸の滝は美しい水の糸をつむぎ続けています。

雷滝 高山村五色温泉

雷鳴のような、すさまじい音とともに、頭上から水の塊が落ちてきます。そして、雲と地面を走る稲妻のように、すさまじいいきおいで、谷底深く落ちていきます。万雷は谷にこだまし、流れ落ちる水が風をおこし、張りつめた冷気が谷に満ちています。

水はなにものにもとらわれず、あるときは空を飛び、自在に姿をかえてのびのびと流れて行きます。

不易の滝 三岳村

切り立った岩場から流れ落ちる水音が谷にこだまします。不易の滝とよばれています。

古からの無数の一滴が、一つの流れとなり、無限への流れをつくっています。山は水を蓄え、森を育て、人々の生活に豊かな水を与えてくれています。神々の知恵と愛に満ち、不易の滝は人々のやすらかな暮らしを永遠に約束していてくれるようです。

尾ノ島の滝 開田村

悠々とそびえる御嶽山は、奈良、平安の時代から御嶽信仰の山として全国に知られ、山岳信仰の象徴ともいえる山です。

その裾野に尾ノ島の滝があります。御嶽山を開いた尾張の国の行者、覚明が登山に先だって、この滝に入り、修行をしたと伝えらています。

流れ落ちる水は清冷な風をおこし、無数の一滴がふたたび空を舞い、神々が語る言葉のように、万雷が谷に満ちています。覚明が聞いた神々の語りかけがいまも聞こえてくるようです。

清滝 王滝村

御嶽山をめざす人々はこの滝の清冽な水に自らの身をなげだし、激しい水で心を無に返して、山登りの準備をします。

水には私たち人間が思いおよばない無限大の力が潜んでいるのかもしれません。

大瀬の滝 栄村

北信濃、栄村秋山郷。苗場山の中腹に一筋の白い糸をつくる大瀬の滝。水に育まれるものは限りなく、また奪われるものも限りありません。だからこそ、人々は水を敬い、恐れ、信仰にも似た感情を抱いてきました。

大瀬の滝は四季の彩りを身にまとい、その水音は人々がこころにとどめるすべての事柄を語るようにとどろいています。

大清水 茅野市米沢

水はどこで生まれたのか どこへ行こうとするのか
とめどなく水は流れ たのしげに道をつくり うねり おしよせ
それをとどめるものは何もない 大海のほとりに至るまで・・・

その長い旅の日々は いつ終わるのか いずれどこに行きつくのか
それを知っているかのように その歩みはゆるぎない
北へ 南へ 東へ 西へ 道を探し 大海をめざす
しかし それがどれほどの道のりであろうとも 決して それを知ろうとはしない

水が生まれ、たどる風景は、人がたどる風景にも似ています。だから、人は、水に生かされ、いやされ、励まされるのかもしれません。

 

遠くなり近くなる水音一人   山頭火