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(2010.2.10)
妻が生きていた、そのあかしのひとつ。
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(2009.4.22)
妻が仕事で使っていた櫛。
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(2009.3.27)
わが社のマーク。
ひらがなの「の」と「ふ」を組み合わせてある。
「紀子」という姉と「房子」という妹がいた。
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(2009.2.6)
小学校時代に使っていた手動鉛筆削り器。
たいして金があるほうじゃなかったのに、
きっとボクのわがままで両親が買ったものだろう。
どうしようもない親不孝者。
いまとなってはとりかえしがつかない。 |

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(2009.1.4)
1964年、東京オリンピックが行われた。
田舎の中学生には東京ははるか遠いところに思われた。
学校の行き帰り、オリンピックのマーチを口ずさんで通った。
母が郵便局に列んで記念切手シートを買って来た。
きょう、なにげないところから見つかった遠い記憶。 |

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(2008.10.18)
1991年、サハリンに残された人々の取材をした。
戦前、戦中、開拓民としてサハリン(樺太)に渡り
それぞれの理由によって残留してしまった人々だ。
取材中にほんとうにお世話なった方々はいまは、、。番組、
「祖国がみえましたか」は日本民間放送連盟賞をいただいた
そのとき、放送会社社長からいただいた銀製のボールペンだ。
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(2008.3.9)
母の形見の指輪、いつも左手の小指にしている。
長野市立古牧小学校一年の遠足は、松岡の飛行場だった。
昼飯は千曲川の土手で食べた。牛がのどかに草を食んでいた。
母がつくってくれた弁当の「たまごやき」がうまかった。
以来、妻には申し訳ないが、
あれほどうまい「たまごやき」にめぐりあえないでいる。 |

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(2008.1.18)
亡くなった妹が高校時代につかっていたラジオ。
いまはボクの仕事場の机の上で現役。
妹の思い出がいっぱいつまっているラジオ。
少し前に公開された映画「Little DJ 小さな恋の物語」で
おなじモデルが登場していた。 |

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(2008.1.1)
高校時代につかっていた「赤尾の豆単」
「単語は、言語のいわば細胞である」と冒頭の文にある。
授業中にこれを使っていると、そんなものは辞書じゃないと
ずいぶんと英語の先生におこられたことをおぼえている。
昭和41年発行、定価160円。
赤尾好夫、旺文社、おせわになったなあ。 |

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(2007.4.30)
祖・宮武外骨は書き遺している。
我に財産なし 我に子孫なし 我に学識なし
我に余年なし 我に墳墓なし 我に頭髪なし
外骨みたいに生きてみたい。 |

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(2007.2.4)
長野市立川端中学校のとき、技術家庭科の時間につくった
ブンチン。切ったり削ったり楽しかったなあ。
指導の鶴田先生の鼻がすごくでかかった。
ブンチンはいまでもボクの机の上で現役だ。 |

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(2007.1.1)
12年前に亡くなった妹が学生時代にしていた腕時計。
ことしも新しい時を刻んだ。 |

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(2006.12.14)
子どものころ、裏返しにして乗って遊んだ記憶がある。
いまではめったに見ることも無い五つ玉のそろばん。
にいちてんさくのご、にしんのいちじゅう、とか
祖父がぼそぼそいいながら、パチパチやっていた。
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(2006.1.16)
すいぶんと昔のことだ。
斑尾高原で毎年、ジャズフェスティバルがあった。
B.B.KINGの演奏を撮影しているボクのスニーカーに
B.B.KINGのマネージャーがこのピンをつけてくれた。 |

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(2005.12.23)
15年前のちょうど今頃。
小樽からロシア船籍の船でサハリンに渡った。戦争で
サハリンに取り残されてしまった人たちの取材だった。
いまどうしているだろうか。 |

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(2005.10.6)
20年前、仲間4人と制作会社をつくった。
いい会社だった。
結婚した時にその仲間からもらったペリカン。
いま一人になって、大切な宝物である。 |

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(2005.6.19)
1991年、ヒースロー空港にあった
0,15 liter のコカコーラ。
当時、こんなコンパクトなコカコーラを見るのが
はじめてだった。 |

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(2005.5.22)
いまから15年前、ロシアへ取材に行った。
その時に、何から何まで面倒をみてくれた現地のガイドが
外貨が欲しいというので買った。
手巻きの懐中時計である。 |

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(2005.4.26)
1957年に富士フィルムが発売した「フジペット」
丸いファインダーがカワイイ、個性的なデザインである。
ボディーの裏にはフィルムナンバー確認用の赤窓がある。
東京都文京区根津の権現さんの近くのカメラ屋で、
「東京のおじさん」が買ってくれた思い出のカメラである。 |

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(2005.4.19)
これも30年ほど前の、
「CASIO COMPUTER」製「ELECTRONIC CALCULATOR」
値段がずいぶんと高かった記憶がある。
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(2005.4.2)
30数年前、コダック・トライXのフィルム缶である。
いまのデジタルではとうてい真似のできないオシャレ
がある。 |

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(2005.3.1)
「2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会」も
中盤になりました。各競技場で感動的なシーンとの
出会いがあります。
そんなボクをささえてくれているのが、ガーコちゃん。
フリーの音声さんで、歳は27歳と本人は言っています。
彼女にとっても Let's Celebrate Together! なSOです。 |

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(2005.2.20)
「2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会」の
取材が昨日から始まりました。
2005年2月26日〜3月5日までの8日間の開催です。
大会テーマは、Let's Celebrate Together!
どんな出会いがあるのか楽しみです。
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(2005.2.3)
昔、イギリス・バーミンガムに取材で行った時いただいた
ピンバッジ。 それぞれが1998年冬季オリンピック招致の
もの。
ソルトレイクシティー(アメリカ)・ハカ(スペイン)
オステルスンド(スウェーデン)・アオスタ(イタリア)
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(2005.1.20)
いまから9年前、1996年に初めて買った携帯電話。
モトローラのMT821型携帯電話無線機。
大きくて、重くて、バッテリーが体力不足。
でも、形は気に入っていた。
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(2005.1.15)
前衛美術家・草間弥生さんの撮影が終了しました。
「ごくろうさま」と草間さん。わたしは感激しました。
そして、このバッジをいただきました。
「LOVE FOREVER (愛はとこしえ)」
番組は1月27日18:55〜信越放送「SBCスペシャル」で。
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(2005.1.11)
大学4年のとき、返還されたばかりの小笠原諸島に卒業制作
の撮影に行きました。碧い海が忘れられなくて卒業後も世話
になりました。その時の思い出の指輪。貝でできています。
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(2005.1.9)
1990年12月7日〜21日、サハリンへ取材に行きました。
記念に買った腕時計。
文字盤に赤い★と落下傘が描かれています。
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(2005.1.8)
前衛美術家・草間弥生さんの番組が放送されます。
SBC信越放送「SBCスペシャル」
2005年1月27日午後6時55分からの放送です。
「いまや草間芸術も、美術界にとって太陽のようなもので
ある」毎日新聞2005.1.8
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(2005.1.7)
「童画」という言葉を生み出し、子どもたちの心にふれる絵
を描き続けた武井武雄(1894-1983)
番組取材のおり、武井家からいただいた作品です。
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(2005.1.1)
1950年代、ボクが小学三年生のとき父に買ってもらった
「START35K」です。
映像制作の仕事を天職と教えてくれたカメラです。
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